滝井秀典公式サイト キーワードマーケティング研究所






第二部では、阿部武志さんが、キャラメルポップコーンレンタルというビジネスを見つけるまでの過程を詳しく聞きました。

もくじ
  1. 最初は海産珍味の卸問屋
  2. 金利だけで600万円払っていた時期も
  3. 問屋が強かった時代もあった
  4. 利益率の低い既存取引先をどんどんカット
  5. パチンコ業界向けの商品企画で活路を開く
  6. インターネットでは、最初、痛い目に遭った
  7. 右脳に検索をかけて、キャラメルポップコーンレンタルというビジネスを見つける。
  8. 滝井の本に出会う
  9. 子供の頃は、まったく勉強しなかった
  10. 職を転々とし、北海道に一人旅に行く
  11. 商売人の子供はやっぱり商売人だった


最初は海産珍味の卸問屋

住宅街の一角にある上州物産 本社。
20年前に、倒産した製麺工場を
買い取って事務所に改造した。
ここで高粗利のインターネットビジネスが
行われているとはとても思えない外観
― キャラメルポップコーンレンタルを始める前の、上州物産の、もともとの業態は

上州物産は、もともとオヤジがひとりで創業した海産珍味の食品問屋だった。海産珍味っていうのは、するめ、さきいか、ピーナツとかの、酒の肴系の食い物のこと。酒屋やスーパーに卸してたけど、上手くいかなくなってきた。キャラメルポップコーン製造器のレンタルは3年前からはじめた。でも海産珍味の卸もまだやってるよ。主にパチンコ屋が相手。



金利だけで600万円払っていた頃も

― 阿部さんは二代目ですが、お父さんの経営は見ていてどうでしたか。

オヤジは新規開拓のセンスはあったけど、人の管理がダメだった。営業マンは歩合制で雇ってたけど、入金額じゃなく売掛金額に、歩合を掛けたのがまずかった。そのやり方だと、営業マンは、カネ払いが悪いお客にでも、とにかく売ってしまえば、集金できなくても、給料が増えちゃう。そうして不良債権(取りっぱぐれ)が溜まって、借金が膨れていった。オレが後を継いだ頃には、金利だけで毎年600万円払っていた。



問屋が強かった時代もあった

― 第一部では「食品問屋は、今の世の中、いちばんみじめな商売」というお話がありました。なぜお父さんはそんな不利な業態で起業したのでしょうか。

問屋って今はダメだけど、昔はよかったんだよ。「そうは問屋が卸さない」なんてことわざもあったでしょ。そういうイイ時代も確実にあって、ウチも昔は、酒屋に卸してるだけでそこそこ儲かった。でも時代が変わって、卸す相手が、酒屋から、スーパー、GMS、ディスカウントストアとデカくなるにつれ、問屋の立場はどんどん弱くなっていった。価格競争させられて、叩かれるばっかり。なんか大変な商売の後継ぎになっちゃったな〜って。

― なぜまた、そんな会社の後継ぎに。

最初は、兄貴が引きつぐ予定だったけど、あんまりヒドいんで投げ出しちゃったんだよ。オヤジはガックリ来てて気の毒だし、じゃあ、しょうがない、次男のオレが継ぐかなと。最初の頃は、借金の清算と不良債権の回収ばっかりだったな〜。経費地方出張の時は、トラックの荷台にダンボール敷いて、寝袋で寝てた。ビジネスホテルにも泊まる金、浮かせたかったから。



利益率の低い既存取引先をどんどんカット

― その頃の売り上げはどうでしたか。

売り上げ増よりは、まずダラダラ流れている血を止めなきゃということで、スーパーとかの利幅が低い取引先や、金払いの悪い取引先を、どんどん切っていった。そうして利益率が改善したわけ。

― 借金で苦しんでいるのに既存の取引先のカット。よく、できましたね。そんなこと。

自分なりに原理原則を考えたわけ。「売る」っていうのは、モノを渡して、かわりにお金をもらうことだ。ということは、モノを渡してるのに、お金がもらえないこの状態は「売ってる」とは言わない。お金をくれない相手は「取引先」でもない。そういう相手との商売はやめようと思って、バシバシ切ったわけ。半年後には黒字になったよ。

― でも取引先バシバシ切ったら、売り上げがジリ貧になるでしょ。

んー、それでパチンコ業界に卸すようになったんだよね。



パチンコ業界向けの商品企画で活路を開く

― なぜまたパチンコ業界に。

知り合いの果物屋が、パチンコ屋に果物を景品として卸してて、ずいぶん羽振りがよさげだった。こりゃマネするしかない。さっそく近所のパチンコ屋に営業に行ってみた。でも最初はぜんぜんダメ。相手にもされなかった。

― なんででしょうね。

パチンコ屋の立場から見ると、スルメ一枚、さきいか一袋だと、景品としてパッとしないわけ。でも、そこであきらめずに提案しなおしたら、飛ぶように売れ始めた。

― どんな提案を。

さきいか20袋分ぐらいを、でっかい袋に詰め直して「ジャンボさきいか」とか提案してみたら、ウケたんだよ。一袋だと景品としてセコイけど、20袋分がドカンと一つの袋に入ってると、「戦利品」の雰囲気が出るわけ。パチンコやる人って、家でもお酒飲むこと多いから、「大量のさきいか」は酒の肴に長く使える。お客のニーズに合ってたんだよね。

― なるほど。でも、そのやり方、競合がマネしてくるのでは。

マネはなかったな。普通の珍味問屋は、アタマが固いからスーパーとかコンビニ向けの商品しか開発しない。パチンコ屋向けにわざわざアイテムを増やしたりしないわけ。競合もいないから、スーパーみたいに値段を叩かれることもなかったし、けっこう上手くいっていた。

でも、そのうち「いつまでもパチンコ業界だけが相手じゃマズい」と思えてきたんだよね。

― マズいとは?

その頃、パチンコの換金率が急に高くなってきた。換金率が上がるっていうのは、出玉を、景品じゃなくてお金に替える人が増えるってこと。ということは「ジャンボさきいか」の需要も減って、ウチの売り上げも下がる、そう予測したわけ。こりゃ別の売り上げの柱を作んなきゃなと。

むしょうに「広告」がやりたかったな。問屋の商売は、広告で大きくできない。でも、ビジネス書には、ダイレクトレスポンス広告でビジネスが倍々に成長する話が載ってる。チクショー、オレも広告やりたいな〜って。

そんなある日、インターネットと出会ったんだよね。



インターネットでは、痛い目に遭った

― どんな出会いを?

東京のコンサル会社から、インターネットセミナーの案内がFAX-DMでやってきた。出席してみたら「ホームページを作って、キーワード広告を出せば、あなたの商品が全国に売れるのです」という。おー、こりゃすげーと思って、個別相談を受けた。「御社の場合は、『さきいか レシピ』のキーワードでGoogleに広告を出してみましょう。間違いなく売れます!」と言われた。

もうやるしかない。100万円かけてホームページを作った。専任の社員もつけて、ワクワクしながら広告出してみた。

だけど注文はさっぱり。三ヶ月後に「ほたてっこ」が一袋売れただけ。今、考えると「さきいか レシピ」なんてキーワードで、人が集まるはずがない。でも当時は初心者で、わからなかったんだよね。

売上げ1500円。トラウマだけが残った。もう、やりたくね〜みたいな。

だけど売り上げの第二の柱が必要な状況に変わりはない。そんな時に、キャラメルポップコーンレンタルという商売に出会えたんだ。



右脳に検索をかけて、キャラメルポップコーンレンタルというビジネスを見つける。

「キャラメルポップコーンの
ビジネスは、右脳に検索を
かけて見つけた」
― 何でまたキャラメルポップコーンレンタルを。

ある日、自分の右脳に検索をかけた。

  ・会社から一歩も出ないで
  ・ダイレクトレスポンスマーケティングの手法を使って
  ・全国展開できる


そういうビジネスを探せと脳に命令してみた。

あとは脳が勝手に働くはず。まず東京の「フランチャイズショー」に行ってみた。でもイマイチだった。隣の会場で「厨房機器ショー」なんてやってる。フラリと入ってみたら、いきなり目に飛び込んできたのが、キャラメルポップコーンマシン。見た瞬間、「疑いを差しはさむ余地のない直感」てヤツが脳にビリビリ来た。すぐに二台購入して群馬に持って帰った。

― どんな直感だったのですか。

まず、「キャラメルポップコーンマシンは、イベント盛り上げ器具になる。パチンコ屋にレンタルすれば、絶対ウケる」という直感。もう一つは「むかし家族でディズニーランドに行ったよな。あの時のキャラメルポップコーン、おいしかったな。レンタルしたら喜ばれるよな」という直感だった。

それだけじゃない。帰りの新幹線の中で、「これ、ヤマト運輸に配送してもらえれば全国展開できるじゃん」という発想、次に「イベントってパチンコ屋だけじゃないじゃん、夏祭りでも学園祭でも、全国でやってるイベント会場にレンタルしたら、商売が爆発できるじゃん」という発想が浮かんできた。ウハウハ気分で、会社に戻ったなあ。あのときは。

― ウハウハ気分で会社に戻って、次に何を。

まず近場のパチンコ屋に営業してみた。すぐ売れた。次にヤマトを呼んで、梱包や発送のダンドリを相談。何軒かに、実際に発送して、途中どんなトラブルが起きるのか、じっと観察した。そうしてノウハウを得た後、いよいよ全面展開を始めたわけ。

― ここでキーワード広告を出したわけですか。

いや、出さなかった。インターネット商売にはトラウマがあったから。最初はFAX-DMを使った。これはこれなりに売れたんだよね。

そんなある日、滝井さんの「一億稼ぐ検索キーワード」を読んで、ついにインターネットマーケティングに目覚めちゃいました。



「この人センスいいな〜、」

― 滝井さんの本を読んでどんな印象を持ちましたか。

「センスいいな〜」が第一印象。ウチが「さきいか レシピ」でキーワード広告を出して、大ハズシした理由が、幼稚園のボクの頭脳でも分かるように、シンプルに書いてあった。

さっそくキーワードマーケティング研究会に入会。ホームページを作成。いよいよキーワード広告に本格的に乗り出した。


そうした始めたキャラメルポップコーンレンタルが年商一億に到達するまでの展開は、こちら第一部をご覧ください。


子供の頃は、ぜんぜん勉強しなかった

― ところで阿部さんて、小さい頃はどんな子供だったんですか。

小中高は、ぜんぜん勉強しなかった。授業ってものに集中できなくてさ。マーケティングの勉強なら結果が出るからやる気も出るけど、古文と漢文とかの何のためにやるのか分からない。さっぱり集中できなかった。漢字のテストで、ビリから二番目だったこともあったなー。

おれ、見た目がゴツいから、昔ヤンキーだったと思われがちだけど、そんなことないよ。いたって普通の学生で、高校時代は、無遅刻、無欠席、無早退でした。趣味は、スキーとかのアウトドアスポーツ。よく、ひとりでスキー場に行ったりしてたな。

高校出てから、すぐ就職した。けっこう転々としたけど。



職を転々とし、北海道に一人旅に行く

― どんな所に勤めたのですか。

最初は鉄鋼問屋に就職した。営業やりたかったんだけど、工場に回されて、いやんなった。ヒトには向き不向きがあって、おれの場合、一日中、機械に向き合う生活はとても無理。結局、ノイローゼ気味になって、朝起きられなくなったので辞めました。

晴れてプー太郎になったわけで、だったらプーにしかできないことでもやるかと思って、北海道バイク一周の旅に出た。10月で寒かったんで、根室の民宿で、オヤジに、「仕事手伝うから、しばらく泊めてくれ」って頼んで、煙突掃除とか手伝いながら二カ月居座った。

それから群馬に戻ってアイスクリーム問屋に就職。念願の営業になった。毎日がルートセールスで超楽しかったなー。

その頃から、将来は脱サラしようと思って、毎月10万円貯めていた。んで、兄貴が上州物産を継がないって言いだしたんで、最初に話したとおり、俺が後を継いだわけです。



商売人の子供はやっぱり商売人だった

― 阿部さんは昔から脱サラ思考だったのですか。

うん、サラリーマンは続けたくなかった。これはオヤジの影響。オヤジは、ビジネスも人生もエンジョイしてた。写真、登山、鮎釣り、ダンス、鉄砲、ゴルフ、将棋とか、趣味も多かった。それに比べると、鉄鋼問屋の上司は、会社に飼い慣らされていて魅力がなかった。やっぱり勤め人はイヤだ、将来は事業をやるぞって。まさか、キャラメルポップコーンレンタルやるとは思ってなかったけどさ。まあ、商売人の子供は、やっぱり商売人だったんだよ。


金庫の上には、お父さんの写真が飾ってあった。






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